「この仕事は本当に私がしたいことなのだろうか」。そんな疑問を感じることは決して珍しいことではありません。原宿でスカウトされ、1994年に芸能界デビューし、女優として活躍してきた松本莉緒さんも、同じ葛藤を抱いていた一人でした。そんな松本さんを変えたのは、ヨガとの出会いです。

30歳を過ぎて芸能界からは距離を置き、ヨガインストラクターとしてのキャリアをスタート。勇気を持ってその一歩を踏み出せたことで、松本さんは自分らしく生きられるようになったと実感しています。そして、その生き方はヨガを通して多くの女性から支持されるようになりました。今回は松本さんに、芸能界から距離を置いて新たなキャリアを築くことになったターニングポイントについて伺いました。

「自分が本当にしたいこと」を模索していた

画像: 松本莉緒(まつもとりお) 1982年10月22日生まれ。芸能生活22周年の女優・ヨガインストラクター。アットヨガライフ府中スタジオディレクター、ヨガインストラクター事務所 代表。 数多くのドラマや映画、CMに出演し、ドラマ『聖者の行進』『ガラスの仮面』『モテキ』など代表作多数。2014年、ヨガの国際ライセンス「RYT200」を取得し、ヨガの講師として活動をスタート。彼女が担当するヨガクラスや出演イベントでは告知後即満員となるほど人気に。2019年2月にはヨガスタジオ「アットヨガライフ府中」をオープン。同年10月にはヨガインストラクター事務所「Peaceberg Style」をリスタートし代表を務め、インストラクターの教育、活動マネージメントを自ら行っている。 ▶︎Instagram

松本莉緒(まつもとりお)
1982年10月22日生まれ。芸能生活22周年の女優・ヨガインストラクター。アットヨガライフ府中スタジオディレクター、ヨガインストラクター事務所 代表。
数多くのドラマや映画、CMに出演し、ドラマ『聖者の行進』『ガラスの仮面』『モテキ』など代表作多数。2014年、ヨガの国際ライセンス「RYT200」を取得し、ヨガの講師として活動をスタート。彼女が担当するヨガクラスや出演イベントでは告知後即満員となるほど人気に。2019年2月にはヨガスタジオ「アットヨガライフ府中」をオープン。同年10月にはヨガインストラクター事務所「Peaceberg Style」をリスタートし代表を務め、インストラクターの教育、活動マネージメントを自ら行っている。
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現在、松本莉緒さんは「Peaceberg Style(ピースバーグスタイル)」というヨガインストラクターの事務所を運営しています。社名は「Iceberg(アイスバーグ=氷山)」と「Peace(ピース=平和)」を掛け合わせた造語です。

「アイスバーグの大部分は海中に潜在しています。その海中にある部分こそが、自分の本当の可能性や想いだと思うんです。私はその本来の部分を表に出すのにすごく時間がかかりました。

誰かに見つけてもらうのを待っているのではなく、自分自身でその部分を表に出していってほしい。そうした想いを込め、ヨガがめざす平和(ピース)のあたたかさでアイスを溶かしていこうという意味で『ピースバーグ』と名付けました」

自分の本来の可能性や想いはどこにあるのだろう――。12歳から華やかな芸能界で活躍していた松本さんは、ヨガに出会うまでずっとそんなモヤモヤを抱えていました。10代の頃は、女優として「仕事をしている」という感覚は薄く、与えられた役柄、役割を子どもなりにただ真っ直ぐ、ストイックに演じていただけだったと振り返ります。それが自分の意志なのかどうかわからない。どこか別のところに自分が本当にしたいことがあると考えていたそうです。

「14、5歳の時、ドラマ『ガラスの仮面』や『聖者の行進』といった話題作に出演させていただきましたが、共演している他の役者さんが橋の向こう側にいる人のように感じることがありました。みなさんはすごい才能を持っている。でも、私は才能ではなく、ただ運がよくて今ここにいるんだ、という感覚でした」

「突然芸能界を去った人」として騒がれる日々

中学の3年間だけという約束のもと芸能活動を始めたため、予定通り、高校入学のタイミングで芸能の仕事からは離れ、アルバイトを始めたそうです。高校3年間は、自分にはどんな職業が向いているのかということに向き合うつもりでした。

画像: 「突然芸能界を去った人」として騒がれる日々

「中華料理屋さんや小料理屋さん、あとはスーパーの精肉コーナーの裏方としてお肉のまな板を洗ったりもしていましたよ(笑)。当時、時給は800円くらい。そこで初めて、自分で働いてお金を得るということがよくわかったんです」

ところが、そうしたごく一般的な高校生らしい生活を望んでいた松本さんの気持ちとは裏腹に、世間では「人気女優が突如引退」とセンセーショナルに報じられました。日常生活の中でも「芸能界を辞めた人」と後ろ指を指され、なかなかデビュー前のような“普通の生活”は戻ってきませんでした。

そして高校を卒業する頃、再び芸能界への声がかかりました。松本さんは「芸能界を辞めても周りが騒がしいままなら、また戻ったほうがいいのではないか」と考え芸能界に復帰。今度は女優の仕事と並行して、その先を見据えたさまざまな経験をしたいと希望し、洋服デザインやグッズのプロデュース、歌手活動などにもチャレンジしました。

しかし松本さんは、「それでも、正直まだ腑に落ちない感覚でした」と当時の心境を語ります。たくさんのライバルがひしめき合う芸能界において、「これは松本莉緒にしかできない」と自信を持って言えることがなかなか見つからなかったのです。自分にしかできないことはなんだろう。模索は20代の間ずっと続きました。

30歳の誕生日にヨガの学校に通うことを決意

そんな松本さんのキャリアのターニングポイントは、30歳の誕生日に訪れました。

画像: 30歳の誕生日にヨガの学校に通うことを決意

「20代から30代になるにあたって、本格的に人生のステージも変えようと思ったんです。自分で考えて調べてその場所に行ってみようと、社会に一歩踏み出した30歳の誕生日がターニングポイントですね。自分がその時一番したいことに立ち返って探した結果、2つの活動に挑戦することにしたんです」

1つはボランティア活動で、「チャイルド・スポンサーシップ」という途上国の貧困家庭の子どもたちを援助したり手紙を送ったりする活動です。当時の松本さんにお金の余裕があったわけではありませんが、今できる範囲での他者への貢献として活動を始めました。

そして、もう1つがヨガ。趣味でサーフィンをしていた20代の時に、知人から「準備体操にもなるし、自然に感謝できる」と教えてもらったことがきっかけで、いつか本格的に習ってみたいと思っていました。

一念発起し、ヨガの学校をネットで検索して入学。ヨガの学校は土曜日と日曜日の朝9時から夕方6時まで、2ヶ月半通うものでした。しかし、高校生の時にバイト先で周りから騒がれるという経験があったため、ヨガの学校でも騒がれるのではないかという懸念が頭をよぎったと言います。

「周りはどういう反応をするだろう、ザワザワしたら好きなことができなくなってしまうという恐怖がありました。だから、初日はマスクで顔を隠して行ったんです。すると、先生から『一人ひとり紹介するのでマスクを取ってください』と言われてしまって。恐る恐る取ったら、みんなポカンという感じで私のことを知らなかったんです。

そして2ヶ月半の学校が終わるタイミングで、初めてクラスメイトたちに『私、芸能の仕事をしてるんだ』と明かしたら、『そうなの、大変だね』と言われただけでした(笑)。気にしているのは私だけだったんです。それで、やっとフラットでいられる、芸能の仕事をする前の自分に戻れる環境を見つけたと思い、ヨガの空間がさらに好きになったんです」

2014年7月にヨガの学校を修了し、そこから個人事務所の設立まで一気に駆け上がりました。30代のセカンドステージ、新たな挑戦の始まりです。

個人事務所設立で「会社代表」としてさまざまな業務をこなす

しかし、30代になってしまうと、なかなか新しい道へ進む勇気が出ないという人も多いと思います。これまでの仕事を続けていたほうが正直ラクな面もあるはず。収入面でも心配が残ります。松本さんはそんな不安はなかったのでしょうか。

画像: 個人事務所設立で「会社代表」としてさまざまな業務をこなす

「『司法書士、税理士、会計士さんの違いって何?』というところから始まって、いろいろな人に教えてもらって、自分でもネットで調べたり勉強したりして……。『税務署に行かなければならない手続きなのに役所に行ってしまった』という失敗も何回もしましたよ(笑)。

知らないことばかりで大変なこともあったけど、でも今は『決断してよかった』という思いしかありません。

収入は、芸能界には歩合制とお給料制があって、私は安心感を求めていたので給料制にしていたんです。でも、だんだんお給料で生活していくことに不安を感じるようになっていました。仕事がない時もこの額、ある時もこの額、自分の仕事に対しての対価は誰が決めるのだろう、と疑問に思ったんです。

私はそれまで、さまざまなことを所属事務所に委ねていたんですね。事務所に委ねて、期待して、評価をしてくれなければ残念に思って。誰かに認められるためにお仕事をしているわけじゃないはずなのに、知らず知らずに『認められなきゃいけない』と思うようになっていました。いつも順位を付けられて、自分の持っているものが伸ばせているようで伸ばせていない状態だったんです。でも自分の事務所を立ち上げたことで、ようやく自分で人生を作っていくという感覚を得ることができました」

個人事務所設立後はとにかく忙しく、カフェの営業時間の間、ずっとパソコンを広げて仕事していることもあり、「カフェの店員さんと仲良くなりました」と笑います。20件近くもの案件を同時進行で動かすこともざらです。

人前に立つ松本莉緒としての顔と、会社代表としての顔のギャップに悩んだ時もあります。サポートをしてくれるスタッフに対しては、代表として、時に冷静に厳しい判断をしなければならない場面が当然あります。しかし、そのスタッフが松本莉緒のファンだった場合、「憧れの存在だったのに⋯⋯」とがっかりされることもあるのです。

「何かを成し遂げたい、もっと大きく広げたいという夢があった時に、誰かとチームを組んで関わることは絶対に必要なので、その時の人と人との距離感、人間関係の悩みは多くの人が直面することだと思います。その人に表面的にいい顔を見せるよりは、自分の信念をしっかり持って、それを理解してもらって同じ想いでチームにならないといけない。離れてしまう人がいても、それは私の気持ちの通わせ方が足りなかったということ。これも経験として次に生かしてしていきたいと思っています」

ヨガインストラクターの社会的評価を上げていきたい

松本さんは、自身の経験をヨガのレッスンを通して多くの人に伝えています。ヨガのレッスンは、ただヨガのポーズを教えるだけでなく、心の在り方のレッスンでもあるのです。

画像: ヨガインストラクターの社会的評価を上げていきたい

「身体がいくら若くて健康でも、心を病んでしまっている人もいます。逆に、私の母は高齢でもう走ったりはできませんが、心が元気で強いので、周りを笑顔にしてくれます。心身のバランスは大切。ヨガはそれを整えてくれるんです。ヨガが世界を救う、と私は本気で思っているんです。

実際、レッスンを通していろいろなことを感じて帰られる方が多くて、『自分のやりたいことをやっていこうと決意しました』『自分らしく生きるため、仕事を辞めて旅に出ます』とお手紙をくださる方もいます。何万人が見ているテレビとは違ってレッスンは十数人ですが、実際に対面して私を知って感じてもらって、誰かの背中を押すことができることが私はうれしい。ヨガの仕事をしてきてよかったとやりがいを感じます」

2019年、松本さんは個人事務所からさらに発展して、ヨガインストラクターの事務所を設立し、インストラクターのマネジメントにもあたっています。芸能界ではマネジメントされた側でしたが、マネジメントする側に回ったのです。

「ヨガインストラクターの事務所を設立した理由は、ヨガをもっと広めていきたいということと、ヨガインストラクターという仕事の認知を高めて社会的評価を上げていきたいからです。インストラクターはみんなお金は二の次で、すごく安い報酬で活動しているんですよ。場合によってはボランティアとして行うようなケースもあってもいいと思いますが、営利を目的とする企業がクライアントであってもタダ同然の出演料を提示されることもあります。インストラクターは事前にさまざまな準備をしてプログラムを組んでいる、ということをきちんと説明して、自分と同じ目線で出演料、レッスン料の交渉を行っています」

目標を定めれば、人も仕事も集まってくる

ヨガと出会ったことで自分の人生を変えることができ、さらにはかつての自分と同じような悩みを抱える人の人生を後押しできるようにもなり、ヨガとの出会いは運命としか言いようがありません。

「主人にプロポーズされた時、『私はあなたの前にヨガと結婚したから、ヨガはやめられません』とあらかじめ伝えたくらいです(笑)」と語る松本さんは、終始穏やかな語り口です。

「インストラクターになったばかりの頃は、『今日のレッスンは○○で⋯⋯』と話すことをすべてノートに書いて読んでいたくらい、セリフがないと人前でお話しすることができませんでした。3年くらい経って、やっと自分の言葉で話せるようになりました。

十数年いた世界を飛び出して新しいことを始めると、そこで自分らしい振る舞いができるようになるまでも時間がかかります。でも、怖がらずに挑戦してもらいたいですね。周りの人に『お前なんかにできっこない』など何か言われたとしても、そんなのは無視していいんです。『自分はこういうことをして貢献したい』『こういうものを伝えていきたい』という目標を定めると、人も、仕事も、すべてがそこに合わせて集まってくるような気がします。そしたら、お金も後から付いてくるんです」

そして、自分のやりたいことが何なのかわからない人に向けてはこうアドバイスします。

画像: 目標を定めれば、人も仕事も集まってくる

「自分が小さい頃の夢を思い返してみるといいですよ。みんなきっと夢を持っていたはず。その職業そのものじゃなくてもいい。その職業に関わることなら、きっと多少のストレスがあったとしても乗り越えられるエネルギーがわいてくると思うんです。私は小さい頃の夢は歌手でした。すでにそれはさせてもらったので、今はヨガを通して何か夢を持った人を支えることが幸せになっています」

撮影/小島マサヒロ

この記事の著者

安楽由紀子(あんらくゆきこ)

ライター。1973年、千葉県生まれ。国際基督教大学卒業後、編集プロダクションを経てフリーに。芸能人、スポーツ選手、企業家へのインタビューを多数行う。

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