2020年6月、カツセマサヒコさんは、自身初の小説『明け方の若者たち』(幻冬舎)を上梓し、発売2カ月で68,000部以上を記録。新進気鋭の作家として注目されています。
画像1: ターニングポイント#4 作家・カツセマサヒコ、数々の転機を「正解」にするコツ

そんなカツセさんの経歴はかなり異色です。新卒で社員数約40,000人という規模の大手印刷会社に就職しましたが、思い描いていた仕事とのギャップに迷いを感じ、ブログの執筆を開始。

そのブログが編集プロダクション社長の目に止まり、ライターの道へ。その後、Twitterでの妄想ツイートが話題となり、一時期「タイムラインの王子様」の異名をとるように。

Twitter: @katsuse_m tweet

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そして、2017年、編集プロダクションを退職し、現在ではフリーライター、小説家として幅広く活躍しています。

“自分の好きなことを仕事にする”という夢を実現したカツセさんですが、彼のキャリア観にどのような変化があったのでしょうか。そして、カツセさんにとって「稼ぐ」とは一体どういうことなのでしょうか。

「何やってるかわからない人だよね」と言われるくらいがいい

画像: カツセマサヒコ 1986年、東京生まれ。2009年から大手印刷会社の総務部に勤務。趣味で書いていたブログをきっかけに、2014年、編集プロダクションに転職。ウェブライター、編集者として活躍し、2017年独立。Twitterは現在14.8万フォロワーを誇る。2020年、“こんなハズじゃなかった”20代の人生と恋の痛く切ない日々を描いたデビュー小説『明け方の若者たち』を上梓。 ▶︎Twitter

カツセマサヒコ
1986年、東京生まれ。2009年から大手印刷会社の総務部に勤務。趣味で書いていたブログをきっかけに、2014年、編集プロダクションに転職。ウェブライター、編集者として活躍し、2017年独立。Twitterは現在14.8万フォロワーを誇る。2020年、“こんなハズじゃなかった”20代の人生と恋の痛く切ない日々を描いたデビュー小説『明け方の若者たち』を上梓。
▶︎Twitter

「今、肩書きは、ライターと小説家の2つを並べることが多いです。今後も小説を書いていこうとは思っているんですけど、小説一本でやっていくことは相当厳しい。一方で、『気軽にインタビュー記事をお願いしづらくなった』と言われることもあって、ライターの仕事は確実に減っているんです。フィクションを書くことをどこまで仕事にしていけるのか。本を出す以外にも、たとえば企業とタイアップするとか、映像作品の脚本を手がけるとか、いろんな方法があると思うので、物語を書く仕事とライター業のバランスをうまく取るにはどうすればいいかを模索中です」

会社勤めを辞め、好きなことを仕事にして名声も得たカツセさんですが、そんな華やかな経歴とは裏腹に、意外にも「家族を養っていかないと⋯⋯」とリアルな悩みをこぼす34歳です。

「今の時代、ひとつの職業に縛られるのはリスクだと僕は考えているので『カツセさんって何やってるかわからない人だよね』と言われるくらいがいい。時代がものすごい速さで変化しているので、ふわふわと浮島に飛び乗っていくイメージでステップアップして、生き方を変えていくくらいがいいんじゃないかと」

働くことと生きることを近づけたいと思った

画像: 働くことと生きることを近づけたいと思った

そんなカツセさんにとっての「ターニングポイント」を問うと、「2つある」と振り返ります。1つ目は、2011年ごろのこと。これは緩やかな転換だったと語ります。

「3.11(東日本大震災)のあとくらいから、SNSを取り巻く環境がガラッと変わったんです。情報を得るために良いツールだと言われるようになり、市民権を得て、そこから(SNS上に)おもしろい人が増えていった。そのころ僕はちょうど社会人3年目を目前に控えていて、『このままでいいんだっけ?』という思いを抱えていながらも、会社の中の人しか知らないからロールモデルが限られた世界にいました。

そんな時、SNSで普段会えないような人をフォローしていくと、この世界は職業に縛られなくても生きていけるということが見えてきた。いちばん衝撃的だったのは、SNSアイコンを1つ3,000円、100人限定で描きますという人。毎月100個描いたら、30万円の月収になる。自宅にいながら暮らしていける。でもその職業に名前はない。僕は大企業の看板を背負って、満員電車に揺られて通勤して、毎日10時間くらいデスクに座っていて、22万円という我慢料金みたいな給与をもらっている。僕と彼は全然生きてる実感が違うだろうな、もっと働くことと生きることを近づけたいなという思いが出てきたんです」

そこで、経営者や著名人、クリエイターの方たちを片っ端からフォローして、その人たちに届くことを願ってブログを書き始めました。その記事がきっかけで編集プロダクションの社長から声をかけられ、採用試験を受けることに。

トントン拍子に話が進み、内定を得たところで初めてパートナーに相談したそうです。しかし、下北沢の雑居ビルにあるその会社は社員6人ほど。雇用契約書もなくFacebookのMessengerで社長から直接「内定したからよろしく」と言われただけでした。

「2012年に結婚した妻は一部上場企業のサラリーマンと結婚したつもりだったので、転職に猛反対でした。妻だけでなく、親や親友や学生時代の先生やいろんな人に相談したけど、誰ひとり賛成してくれなかった。こんなに反対されることがあるのかというくらいでしたね。転職サイトに登録もしていたんですけど、公募されている会社に自分から飛び込んだ結果として味わう“入社後のギャップ”のようなものは新卒で経験したから、今度は会社側から声をかけてくれるまで待とうという思いが強くあったんです。それで声をかけていただいたのだから、リスクはあるだろうけど頑張ろうと、そこは楽観的でした」

周りの猛反対を押し切って転職を決意したこの時が、2つ目のターニングポイントです。

道を選択した瞬間が大事なんじゃない

画像: 道を選択した瞬間が大事なんじゃない

大手企業社員から転職し、ライターとしてのスタートを切ったのは27歳。その年齢については、「その時期がベストだったかどうかはわからない」と冷静に分析します。

「ひとつ確実に思っているのは、選択した瞬間が大事なんじゃなくて、選択したあと、その道を正解にするために頑張ることが大事なんですよ。僕もライターになるって選択した瞬間は『間違ってたかも』とよぎったこともありました。

でも、正解だって決まるのはその時じゃなくて、何年か働いた後じゃないですか。やってみなきゃわからない。もちろん下調べはたくさんしました。反社じゃないかとか(笑)。そのレベルのことは調べるんですけど、これ以上調べても後は入ってみなきゃわからないとなったら、飛び込んでみて頑張って、『ほら、こっちで合ってたじゃん』と言えるように、体を壊さない限りやればいい。そう思って動いてましたね。今もそれは変わらない気がします」

2017年には編集プロダクションを退社して独立しますが、それは転機ではなく自然の流れでした。2015年ごろにはSNSのフォロワーが爆発的に増え、カツセさんを指名した仕事の依頼も増えるように。収入も印刷会社時代を超えていたそうです。

「独立する時は、もう妻からは反対されませんでした。編プロでライターをしていた3年の間に、『この人は自分のやりたいことのためなら頑張る人だ』と思ってもらえたようで、『フリーランスになってもし食べていけなくなっても、なんとしてでも稼ぐ人だと思うから、好きなことすれば』みたいな、半分諦められたような言い方をされてうれしかったですね。お金はすごく大事。稼ぐためには華やかなことばかりやってるわけにはいかない。稼がなければならないということが、地に足をつけて生きるための良い重しになっている気がします」

自分もそうなりたい、真似してみようと簡単に思う

画像: 自分もそうなりたい、真似してみようと簡単に思う

無名ブロガーの時から編集プロダクションの社長のイベントに行き、直接話をして、Facebookで友だちになるなど、積極性、行動力は高いカツセさん。しかし、語り口は柔らかく、「何が何でも成功するぞ、稼ぐぞ」といったガツガツしている雰囲気は感じられません。

「そうですね。楽しく暮らしていくくらいのお金があればいいと思っているからでしょうか。たぶん時間とお金に殺されたくないんでしょうね。ちゃんと人間らしくいたいじゃないですか。

フリーランスになってよかったと思うのは、平日午前中に映画を観に行けたり、仕事と仕事の合間に新しくできたお店に行けたりと、時間をフレキシブルに使えること。フリーランスになって『仕事があるうちに稼がなきゃ』と言う後輩もいるんですけど、僕はひまがあるとちゃんと喜ぶし、フリーランスにしては休む大胆さがあると思う。

小さいころから『きっと大丈夫』という根拠なき自信があるんです。来月、再来月に予定がないという時でも、たぶん3カ月後に3倍くらい働く仕事が来そうだから、今は休んだり遊んだりしようと思えるんです」

それでも「好きなことを仕事にしたい」という願いは叶えられました。その原動力はなんでしょうか。

「“憧れ”だと思います。僕はけっこう憧れやすいタイプで、あの人のこういうところが好き、自分もそうなりたい、真似してみようと簡単に思う。それを一番先まで伸ばしたらどこまで行くか、どうなれるかということもよく考えます。それがいい方向に作用して、ちょっとずつステップを上げていった感覚があります。

『この人と肩を並べたい』という思いもあります。ライターとして安達祐実さんにインタビューした時に『夢を叶えた』という感じがあったんですけど、でもよく考えたら安達さんからしてみたらただの一ライターでしかなくて、一緒に仕事をしたわけじゃない。じゃあどうしたら憧れの人に存在を認めてもらえるんだろう? といった思考は、『生活する』という最低限の軸とは別で存在していて、そっちの熱量は異常に高いと思います」

俺はいいけどカツセはどうか

画像: 俺はいいけどカツセはどうか

こうした仕事への熱量を持つようになったのは、ライターになってからのこと。会社員の時は、名刺の強さ、社会的信用度の高さで、周囲から『あの会社の方なんですね』と感心されるだけで満たされている感覚があり、ハングリー精神を持つ必要がなかったそうです。ライターになって小さな実績を積み重ねることで、自分の未来像が見え、どんどん眠っていた野心が目覚めてきました。

「仕事を選ぶ時も、高みをめざしたいという思いが強くあります。会社員と違ってフリーランスは自分自身で成長していく仕事を選ばないといけません。一歩間違えると、ものすごく忙しいんだけど、実は売れてるわけじゃなくて、同じレベルの仕事に追われて消耗しているだけのことがある。自分を大きくしてくれる仕事にできるだけ取り組んでいかなければいけないと常に思っています。

僕は半端にSNSのフォロワーが多いので、企業から『商品PRのツイートをしてくれないか』という依頼が来るんですよ。それが1ツイート30万円という信じられない金額で来ることもあります。こっちは昨日書いた4,000文字のコラムが数万円だったりするのに、140文字で30万ってなんだよ、みたいな世界(笑)。でも、そういう仕事を受けてしまうことによって離れていくものはなんだろうかと考えるし、逆にそれを断ることで、半年後に憧れの人と対談できたり、もっと大きな仕事に出会えたりするかもしれないとも考える。ただの予感ですけど、そこはシビアに、ある意味残酷に取捨選択しています」

実は、今回の小説の話が出る前にも出版依頼は10社ほど受けていたのだそうです。しかし、ほとんどが「ツイートをまとめた本を出しませんか」という依頼。「それじゃなにも変化が起きないだろう」と、カツセさんは小説の依頼が来るまで断り続けたと言います。そうした意志が、カツセさんの淀みのない清潔感につながっているのかもしれません。

「自分が一番『カツセマサヒコ』を客観視していますね。『俺はいいけどカツセはどうかな』って、矢沢永吉さんの『YAZAWA』の発想です(笑)」

売れるものを徹底して書きたい

画像: 売れるものを徹底して書きたい

冒頭でも記したように、今後も小説を書きながら言葉に関わる仕事を幅広く続けていきたいと語るカツセさん、「有限実行タイプ」だと自己分析する通り、次回作への意欲も赤裸々に明らかにしてくれました。

「本を出すのは重い行為です。出版業界では1冊目が売れないと2冊目の声がかからないとか当たり前にあるから、売れるものを徹底して書こうという意識は持っていました。ウェブライターからキャリアをスタートしたことも大きく影響していますね。ウェブライティングはPV数(ページの閲覧数)を求められることが多いので、広告に近い側面があるんです。出版と広告の間にプカプカ浮いていて、どっちも本職ではない異物みたいなところがコンプレックスになっていたこともあったけど、だからこそいろんなことができるし、『売れる小説』を作れるかもしれないという気持ちがありました。

それに、幸い僕は“売れてるもの”をきちんと好きになれるんですよ。『君の名は。』でちゃんと泣ける(笑)。ライターって、クリエイター目線で重箱の隅をつつくような見方をする人が多くて、『君の名は。』で泣ける人はあんまりいないと思うんです。僕は視聴者と同じ目線でちゃんと泣くから、それを大事にしていればきっと多くの人に届くものを書けると思う。ただ、それを狙ってヒットを出せるんだったら、もっと多くの人たちがベストセラーを書けるはず。時の運などももちろん関係していて、今回はその運も合わさってたまたま売れたというのもあるんですけど、ひとつ代名詞的な作品ができたことはすごく大きなステップだったと思います」

「選んだ道を正解にするために頑張る」。カツセさん自身はふわふわと漂っているような雰囲気を纏いながら、その言葉はしっかりとした重みをもって私たちに投げかけられます。迷いながらも今を生きるカツセさんが、次にどのような作品を発表するのか楽しみです。

撮影/小島マサヒロ

この記事の著者

安楽 由紀子(あんらく ゆきこ)

ライター。1973年、千葉県生まれ。編集プロダクションを経てフリーに。芸能人、スポーツ選手、企業家へのインタビューを行う。

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